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コンクールの現場にて


坂東 肇

(所属: 人間表現専攻 人間表現論講座、研究分野: 器楽〔ピアノ〕)

写真
ベートーヴェンの散歩道 (ハイリゲンシュタット)

私は幼少の頃から自然が大好きで、外で遊ぶことに大きな喜びを見出していました。ですから、最初、親からやらされたピアノの練習など大嫌いで、それから逃げ回っては、日が暮れるまで山や川で友達や兄弟と遊び、泥んこの少年時代を過ごしていました。そんな中で、多様な動植物そして自然のもつ美しさ、やさしさ、厳しさ、おそろしさなどに触れ、多くのことを学びました。また、童話・冒険小説・歴史小説などの本を読んでいろいろな空想の世界に遊び、やはり多様な人間の心の有り様や運命、自然と人間との関係について深く考えさせられたものです。

その後、思春期に至って音楽の魅力に取り憑かれ、この道に進んだのですが、そこで実感したのは、音楽も、自然や人間のなかに渦巻く途方もないエネルギーを余すところなく表現し創造するものであり、まさに生命の根源たる大宇宙の如きものだということです。

さて、私は毎年、兵庫県学生ピアノコンクールやPTNAピアノコンペティションをはじめとして、各種ピアノコンクールの審査をしています。それらのコンクールは、各地域・各新聞社主催のものから全国規模のものまでさまざまです。どのコンクールの審査にも言えることですが、音楽に携わるものにとって、この仕事は過酷で相当な苦しみを伴います。まず、本来、点数とは無縁のはずの心込められた音楽に、否が応でも点数をつけなければならない。その上、限られた演奏時間内に、演奏者のために1曲毎のコメントを書かなければならない。時には、朝9時から夜10時近くまで審査会場のホールに缶詰めで (必要最低限の、食事時間と休憩時間はあるものの)、150人余りの演奏を、延べ300曲余りにコメントを書きながら評価しなければならないこともあります。このような激しいストレスにさらされた審査員がその場で倒れ、救急車で運ばれることも一度や二度ではありません。コンクールの審査は、まさに命懸けなのです。しかし、それでも毎年この仕事を引き受けるのは、そこに大きな意義と歓びがあるからです。

その仕事の中で、音楽の真髄に触れるような、すばらしい演奏に出会うことがあります。また、昨年、マスメディアで紹介された、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝の辻井伸行さんや左手の指が二本しかないピアニストの小林夏衣さんのように、生まれつきのハンデをものともしない、ひたむきで感動的な演奏を聴かせてくれる逸材に出会うこともあれば、80歳からピアノを始めた100歳のご婦人の、その人生の重みを感じさせる演奏に圧倒されることもあります。そんなときは、こちらが励まされ、勇気と希望をもらい、多くのことを教えられます。ですから、このような機会を与えられることに感謝し、これからも、コンクールに集う人々と共に、ミューズの住むパルナッソス山を目指す旅を続けたいと思っています。

しかし、長年、学生指導やコンクールの審査をさせていただくなかで、多くの人々は、「演奏」、ひいては「音楽」というものを、それほど深遠なものとは捉えず、矮小化した表現で満足されているような印象を受け、とてももったいなく残念に思いました。その捉え方はかなり表層的・一面的で、ただ美しく整った音を心地よく響かせるのが音楽、というもののようにも見受けられました。そして、コンクールの課題曲に限らず、ピアノを演奏するにあたっては、指導者も生徒もその親御さんも、いかに鮮やかな指さばきで楽譜通り完璧に弾きこなすことができるかに関心が集中しており、その音楽の背後にある生命力の源泉にまで思い至らないのが現状となっています。

このような状況を、少しでも多くの人に認識してもらい、人間そのもの自然そのものである音楽の、汲めども尽きぬ源泉に、一歩でも近づけるような道案内ができれば、と審査を引き受けている次第です。

Updated: 2010/07/23 (Fri) 13:48