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「語り聞く」 ―物語の実践


森岡 正芳

(所属: 心身発達専攻 人間発達論講座、研究分野: 臨床心理学)

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大学に社会貢献が積極的に求められるようになって久しい。大学は社会と切り離されて存在しているのではない。大学に蓄積された知と技量はいずれかの手段で社会に還元されねばならない。考えてみれば当然のことであるが、大学に長い間奉職しながら、社会貢献をするというイメージはいまだつかみがたい部分がある。臨床心理学、カウンセリングを専門として生業を立てているのに何を言うのかと問い詰められそうだが、私たちの仕事が社会のどういうところに役に立っているのだろう。この疑問はいつも残る。

少し前になるが、県の臨床心理士会の幹事として、臨床心理士たちの被害者支援全国研修会をお世話したことがある。事故、災害、犯罪に巻き込まれた被災者、被害者およびその家族に対する心のケアは、新聞などでよく報道されているように臨床心理士たちがよく活躍している。たしかに臨床心理の仕事としては見えやすくわかりやすい。ある被害者家族の会の代表の人と、研修会の前日打ち合わせで席をともにしたときにうかがった次のような言葉が今も印象に残っている。「たとえば臨床心理の人と話をしていて、トラウマやPTSDという言葉が連発するけど、あれは困るんです。私らのことをそういう診断名で名指しされるのはとてもかなわない。」PTSDという言葉は医学、心理学の専門用語である。自分たちが被った出来事を、何かの学術用語でくくられてすまされるわけにはいかないと強い口調で訴えられた。そのような言葉による理解の早さと、当事者が求めているものとは大きな亀裂があるのだ。当事者の体験はトラウマという言葉でもって代表され、固定した実体として扱われてしまう。

それでは自分が被った出来事を既成の専門用語を使わずに、自分の言葉で伝えていくことをはじめるとしよう。しかしそれはそれで大きな困難にぶつかる。会話の場でそのつど相手に対して、自分の体験をたえず新たな言葉で立てていかねばならない。これは話し手にとても負担を強いる作業でもある。できたら私たちはそのためのお役に立ちたい。どのような方法があるだろう。私たちが今取り組んでいるナラティヴアプローチすなわち物語の実践は、このような問題意識から始まっている。

何かの出来事を思い出すときや、さらにそれを誰かに語るときは、いくつかの場面を組み合わせ、何かのつながりをもったものとして筋書きをつけていく。これが物語である。生活の場のさまざまな局面で私たちは物語を育んでいる。人の行動を理由づけ説明するのに、私たちはそれと意識せずに物語を運用している。

大切なのは、話を自分のことのように楽しみ、聞いてくれるだれかがそばにいることだ。人が関心を持って聞いてくれると、物語はさらに生き生きとしてくる。聞き手も相手の物語づくりに参加している。このような物語のはたらきを積極的に対人援助や、心理療法に役立てようとする実践が注目されている。

私たちも、病気や障害を抱えた人たちの体験の聞き取りを院生、学生たちといっしょに行っている。戦争、災害、事故、事件などの体験はそんなに簡単に語れるものではない。しかし、一方で語り継いでいこうという動きもさまざまな現場で生じている。こういった実践は一人でやれるものではない。よき聞き手を育てていくことも私たちの役割であろう。

Updated: 2009/09/17 (Thu) 10:06