本ウェブサイトは2012年3月末をもって閉鎖いたしました。このページに掲載している内容は閉鎖時点のものです。[2012年3月]

小規模学会の事務局という「社会貢献」


橋本 直人

(所属: 人間環境学専攻 環境形成論講座、研究分野: 社会環境思想史)

昨年10月以来、私はとある学会の「事務局次長」として学会運営の事務作業を担当している。学会の名は「唯物論研究協会」。30年以上の歴史を有するものの、会員数は300名弱、決して大きな学会ではない。哲学・思想を主な領域として現代社会を批判的に研究するというスタンスの学会で、研究・出版活動は盛んだが、何か直接に「社会に利益をもたらす」わけでもない。そんな学会の、しかもいわば「裏方」をつとめることが、いかなる意味で「社会貢献」なのだろうか。

しかも昨今の業績至上主義の風潮のもとでは、このような小規模学会は存続することすら決して楽ではない。大規模で有名な、できれば国際的な学会での研究活動の方が業績として高く評価されるとなれば、特に若い研究者ほど、より良い評価を求めて大規模な有名学会へと流れるのが自然の理であろう。かくして有力学会はますます拡大し、マイナーな学会はいよいよ淘汰される、「マタイの法則」が実現されることとなる。

写真
小規模学会の事務作業は手作業が中心

だが皮肉なことに、こうした風潮のもとでこそ、小規模学会が独特の存在意義を発揮する。というのも、このような状況の中で大規模な有名学会は業績獲得のための競争の場と化しかねず、その結果もはや大規模学会では素朴なアイデアや思いつきといったレベルの事柄について自由に、そして利害関心抜きに議論することがひどく難しくなってしまうからである。実際、議論する当の相手がライバルになる「かもしれない」となれば、誰が自分の「飯のタネ」を惜しげもなくさらけ出すだろうか。

いや、ことはなにも大規模な有名学会に限らない。不幸なことに、業績主義の横行は、特に若い研究者が利害抜きで自由に議論できる場を損ない、一種の内面的な孤独へと追い込む傾向をもっている。こうした状況で本当に必要なのは、「今こいつにこのアイデアを話して損にならないだろうか」などといちいち気遣わずにすむような、その意味で自由に議論できるような、「仲間」であるだろう。

現在の状況での小規模学会の存在意義 (のひとつ) はここにある。業績の獲得という点では「効率が悪い」かもしれないが、だからこそ利害関心抜きに、自由に、自分の考えていることをぶつけ、議論を交わす「仲間」が、お互いの顔の見えるような小さな学会でならば見つけられるのである。実を言えば、最初に名前を挙げた「唯物論研究協会」でも、このところ博士課程からODぐらいの会員がかなり増えてきている。その背景には、あるいはこうした事情もあるのではないか、と私は推測している。

初めは見知らぬ同士であった人々が互いを「仲間」と認め、自由に議論できる「コミュニティ」を形成するプロセスは、繊細かつ微妙な条件に支えられている。そこへ杓子定規な運営や規定を無造作に持ち込めば、まるで手のうちから卵を取り落とすように貴重な機会は失われてしまうだろう。小規模な学会が「仲間」との議論の場であろうとするならば、大規模学会と同じように学会事務を「合理化」するわけにはいかない (そんな財政的余裕もないのだが)。会員名簿を見れば顔が思い浮かぶような関係として学会を運営する必要があるのだ。

小規模学会の事務方としての活動が「社会貢献」であるとするなら、それはまさにこの意味で「コミュニティ」の存続に密接に携わっているからなのだろう。

Updated: 2009/09/17 (Thu) 12:11