研究会報告: 原子核乾板技術に関する第3回国際ワークショップ
青木 茂樹
(人間環境学専攻、環境基礎論講座)
ワークショップでの様子
組織委員の一人として参加した「原子核乾板技術に関する国際ワークショップ」 (2008年1月25、26日於名古屋大学) について報告させていただく。このワークショップは1998年に始まり2008年の今回で第3回となる。プログラムや発表スライドに関しては、http://flab.phys.nagoya-u.ac.jp/workshop/2008/ を参照されたい。
原子核乾板は、霧箱や泡箱と呼ばれる検出器などと同様に、荷電粒子が通過した経路を飛跡として捉える検出器である。原子核乾板では霧粒や泡粒の代わりに、写真フィルムと同様の臭化銀結晶の乳剤を用いる。荷電粒子の通過後に写真と同じ現像処理を施すと荷電粒子の通った跡が約1ミクロン (=1/1000ミリ) 径の銀粒子の列となり、通常の光学顕微鏡で見えるようになる。この1ミクロンというサイズは、他の検出器では追随できない分解能で、誕生してから消滅するまで1ミリ前後の飛跡しか残さないような粒子の観測などで威力を発揮する。古くは1947年の湯川中間子の発見、最近では、その存在の予言から25年近くを経て初めて検出されたタウニュートリノの反応の観測などで成果をあげている。
飛跡の細密な解析に適している一方、いくつかの短所もある。製造直後から現像直前までの間、あらゆる荷電粒子の飛跡を記録してしまうため、大量に蓄積される目的外の飛跡と目的とする飛跡との区別がつかない、あるいは顕微鏡での解析に手間と時間がかかるなどである。原子核乾板は、1940年代にイギリスの大学と写真フィルムメーカーにより開発された技術であるが、光や電気信号を用いた新しい検出器の登場や前述の短所の克服ができなかったため、欧米では廃れて行った。これに対し、日本の研究グループは富士フィルム社と共同で、原子核乾板それ自身およびその解析技術の双方に関して多岐にわたる開発を重ねてきた。使用開始以前に無駄に蓄積された飛跡の消去技術の開発、他の検出器との組み合わせや原子核乾板同士で位置関係を制御することにより飛跡の時間情報を限定することを可能とした。また、顕微鏡載物台および光学系の機械制御と顕微鏡の画像処理を連動させる高速全自動飛跡読み取り装置の開発によって、解析に要する時間は大幅に短縮され、取り扱える情報量は飛躍的に増大した。ニュートリノ反応の観測などの大規模な実験を可能にしたのは、これらの技術開発によって短所を克服しつつ原子核乾板の持つ特徴を活かし続けてきた結果である。
今回のワークショップでは、こうした技術開発に関する報告の一方で、開発を重ねた結果として実現可能となった新たな分野への応用に関しても多くの時間を割いた。一例としては、近年、がん治療で注目されている粒子線治療に関する基礎データの提供があげられる。粒子線治療においては粒子線が体内の患部および健常部におよぼす線量の評価が重要となる。この細密化のために治療用粒子線を実際に原子核乾板に入射し、入射粒子および派生する二次粒子の振る舞いを詳細に測定したという報告がなされた。素粒子原子核の研究とは直接には無関係な分野の例としては、火山の火口内部の観測があげられる。上空から降り注ぐ宇宙線のミュー粒子は、エックス線やガンマ線よりもはるかに貫通力が高く、建造物や山岳さえも貫通することができる。これらを貫通してきた宇宙線ミュー粒子の飛跡を原子核乾板で精密に測定することにより建造物構造体や山岳内部の密度分布を非破壊で観測するという応用が可能となり、実際に浅間山や有珠山 (昭和新山) の観測を行った結果が報告された。私自身は、神戸大学と名古屋大学他で取り組んでいる原子核乾板を用いたガンマ線望遠鏡の開発に関する報告を行った。
さまざまな分野の研究者が一同に会し、新しい話題も数多く紹介され、2日間にわたり活発な議論が展開された。
Updated: 2009/09/17 (Thu) 10:16