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青野ヶ原からオーストリア、ドイツへ


岸本 肇
(人間形成学科 教育・学習論講座 体育学、体育教育学)

文学部の友人から、加西市、小野市、加東市の3市域一帯にひろがる青野ヶ原台地の一角にあった青野原俘虜収容所について教えられたのは2002年の秋だった。第一次世界大戦中に日本にあったドイツ兵捕虜収容所といえば、鳴門市ドイツ館の板東俘虜収容所しか知らなかった私は、地元にそういうものがあったことに大変驚いた。板東俘虜収容所では、スポーツ活動が活発であったという先行研究があるので、青野原俘虜収容所でもそうであったのかどうか、調べはじめてから5年ほど経つ。

やはり、青野原俘虜収容所でもスポーツがよくやられていた。サッカー、陸上競技、体操祭の様子は、文書や写真で知ることができた。運動やスポーツは、捕虜兵の健康・体力づくりとレクリエーションになるのはもちろんであるが、収容所生活の不満を和らげる効果もあった。その中で、特筆すべきは、休戦協定により「平和」が到来すると、ドイツ捕虜兵と小野中学校生、姫路師範学校生とがサッカー交流をしているという事実である。

写真
青野原俘虜収容所の跡地にて

実は、青野原俘虜収容所研究は、神戸大学文学部地域連携センターのプロジェクトで進行中である。昨年10月20日から2週間、神戸大学百年記念館で地域に開かれた「捕虜収容所に生きる第一次世界大戦時青野原収容所の世界」も開催されている。そのとき、私が収集したスポーツ関係の写真も展示された。

そこに至る期間、第一次世界大戦中のドイツ兵捕虜に関心を持つ多くの人々と出会いがあった。DIJ (ドイツ-日本研究所)、OAG (ドイツ東洋文化研究会) の協力を得ることもできた。訪独して、現地で資料収集することもできた。写真は、ドイツの戦争捕虜研究者シュミット氏夫妻が、広島県似島俘虜収容所に抑留されていたヴァルツァーの孫娘である篠田さんとともに、2005年11月に青野原俘虜収容所の跡地を訪れたときの写真である。前列中央が筆者で、その隣の女性が篠田さんである。それ以外の方は、小野市教育委員会・好古館と加西市教育委員会の関係者である。背景は、現存する青野原俘虜収容所の井戸と青野ヶ原の原野である。この研究と地域およびドイツとの結びつきを示す写真だと思う。

近い将来、文学部地域連携室が中心となって、オーストリアの首都ウィーンで青野原俘虜収容所展覧会が開催されると聞く。オーストリア兵も青野原俘虜収容所にいた機縁からである。その次は、ドイツのベルリンで青野原展覧会が開催されるように願う。その2つの企画には、定年退職後になるが、私も参加するつもりでいる。青野原俘虜収容所研究は、国際的な文化交流という意味でも社会に貢献しているのである。

Updated: 2009/09/17 (Thu) 10:22